町中で見かけた黄色と青のマークがこちら。2013年の爆発事件から2回目の開催となる今年も”Boston Strong"がいたるところに掲げられていました。
マラソンコースが近いためLongwood Medical Area内の病院もお休みになります。(なので爆発事件の時は東に離れたMassachusetts General Hospitalに一番多く負傷者が搬送されたのだとか)
お休みがいただけたメンバーで、寮から近い40km地点に応援に行きました。
セキュリティを越えて沿道へ。
ボストンマラソンは車いす男子、車いす女子、男子、女子の4部あり、Boston Qualifyingと呼ばれる基準タイムを過去一年に超えた選手だけが原則エントリーできます。ゼッケンの順番、スタート群の順番も提出した記録順に決められるので、同じペースの人と混雑せずに走れるのがいいそうです。
車いすマラソンと聞くとこの形↓を思い浮かべる方が多いと思うのですが、
走ってくる人をよく見ていると、
手漕ぎ!!
他にもいろいろあるようです。鍛え方だけでなく、マシン選びも鍵でしょうか。
軍服の人も走っていたり。かなりしんどそうな顔をしていたので、訓練なのでしょうか。
トップ集団でも後続でも、選手が来るたびに大盛り上がりでした。
正午ごろに、女子の先頭、つづいて男子の先頭がやってきました。
男子の先頭。最後まで逃げきって、一位でした! |
ボストンの病院の多さを反映したような特徴もありました。
まず、車いすの部で、家族や友人の車椅子を押して走っている方がいらしたこと。Team Hoytをご存知でしょうか?
私は中学の英語の教科書で知りました。
脳性麻痺のある息子Rickの車いすを父親のDickが押して、有名無名問わず数々のマラソンを完走してきた2人です。そんなTeam HoytですがDickが高齢になり、マラソンを続けるのは難しいといわれていました。しかし、彼らの初めての挑戦だったボストンマラソンは続けたいという思いから今年はDickに代わってチームメンバーがRickを押し、今年も無事に走りきったそうです。防寒雨除けで顔が見えなかったので本当に彼らだったのか少し不安ですが、おそらく彼らが走ってきたとき、応援の歓声がひときわ大きかったように思います。
また、ボランティアに4500人以上の応募があり、Massachusetts General Hospitalから40名が医療ボランティアランナーとして、また小児癌の支援のためにユニフォームに患者さんの名前を書いて一緒に走るチームも参加したそうです。赤十字とアメリカ心臓病学会が協力して、心停止患者蘇生方法のHands only CPRのやり方を動画で配信するなど、応援は市内にとどまらず広がっていたとか。
これら一つ一つから、このマラソンを盛り上げ、これからも良い思い出を積み重ねていこうという意思が感じられました。伝統のイベントである以上に、自分たちがよりよくしていくものという強い思い入れがあるのではないでしょうか。
実習中にも通じる事ですが、アメリカでの沈黙や不変は、同意であり満足です。不満があるならアピールしたり変えたり好きにしていいけれど、その代わり気を回してくれる事もほとんどありません。手の中にあるものをよりよくする権利も責任も、持ち主にあります。今回はボストンの人々の、自分たちのマラソンは2013年のテロを越えていかなければいけないという強烈な意志が印象的でした。
ここから先はマラソン関係ないですが、うれしかったので書きます。
日本から救援物資が来ました!郵便局からEMSで3日、綺麗な状態で届いていました。よかった!
日本食にこだわりがあるわけではないのですが、先日、日本のクッキーとこちらのスーパーで買ったクッキーを味だけで判断できて、自分でも驚きました笑 日本のお菓子最高です!
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